少し前に一冊の本を読んだ。
「殺人犯はそこにいる
隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」
群馬と栃木の県境で発生した5人の少女の誘拐殺人事件。
その事件をテーマにしたノンフィクションの本だった。
5人の少女のうちの一人。
当時4歳の少女が、栃木県足利市にあるパチンコ店から姿を消したのは、1990年5月12日。
翌日、近くの渡良瀬川の河川敷で、その女児の遺体が発見された。
この事件は「足利事件」と呼ばれる。
事件翌年の1991年に、バスの運転手だった菅家利和氏が被疑者として逮捕された。
遺留物から検出されたDNAを用いたDNA鑑定が決定的な証拠になっていた。それもあり裁判で有罪(無期懲役)が確定し、菅家氏は服役する。しかし、菅家氏はずっと冤罪を訴えていた。
その訴えもあり、2009年にDNA型の再鑑定が行われる。
その結果、遺留物から検出されたものは菅家氏のものと一致しないことが判明し、菅家氏はただちに釈放され、その後の再審で無罪が確定する。
この足利事件は、冤罪事件として有名となっている。
ここで重要なのは、なぜDNA鑑定の結果がひっくり返ったのかということ。
DNA鑑定というと、非常に信頼性が高くて、その鑑定が一致するということは間違いなく同一人物であることを指し示しているというイメージを持ってしまう。
だけど、その当時のDNA鑑定は、科警研が独自の方法として実施し始めていた「MCT118法」という方法で行われていて、当時はその方法はまだ精度がそれほど高くなかったという。