院試に向けて勉強をしていた8月。
少しでも涼しい場所で勉強をしたいと思って大学の図書室に通っていたことがあったのだけど、結局一週間くらい通っただけで、図書室に行くのをやめた。
朝早くに家を出なければ、図書室で勉強しやすい机を確保をすることはできなかったし、そもそもとしてその当時私が住んでいた実家から大学まで片道1時間半もかかった。往復では3時間無駄に使うことになる。時間帯によっては通勤ラッシュに巻き込まれることもあった。そこまでのコストを払ってまで図書室に行く必要がないと判断したのだ。
それに、大学の図書室は、同じように院試に向けて勉強をしている学生が多くいた。皆、問題集を開いて、そこに記載されている問題をカリカリと解き続けている。静かな図書室で、そのシャーペンの音だけがやけに耳障りに聞こえた。
人によっては、
「周りも必死に勉強をしているのだから、自分もしなければ」
と、その環境を一つのモチベーションにして自分の勉強に励むという人もいたのかもしれない。
自分の意思に頼らず、そのような“外部強制装置”が自分を律するために非常に重要だと私も考えていたので、それも狙って私は図書室に通っていた。
だけど私の場合は、そのシャーペンのカリカリという音に、やけに焦るような気持ちに襲われた。
周りが気になって気になってしかたがなかった。
これでは、逆効果だな。
自分は図書室で勉強することに向いていない人間だ。
その時、私は自分のその性質に気付いた思いだった。
私は再び自宅の自室で、問題集の問題を黙々と解き始めた。
クーラーがついていない自室。
南側を向いていて、午後は直射日光が窓に差し込み、殺人的に暑い自室。
それでも、一人で勉強をしている方がましだった。
ある意味では、それは私のFIREに向けての一歩目だったのかもしれない。