FIRE生活に移行して、明らかに図書館に行く頻度が多くなった。
家の近くの市立図書館に行くと、時々、図書館のデスクで本を開いてレポートを書いているような大学生らしき人を目にする。
私自身は、市立図書館のような公立の図書館で勉強をするということはなかった。
私が暮らしていた実家の近くにも市立図書館はあったのだけど、近くといっても電車で3駅くらい行ったところにあったので、それほど気楽に行けるような場所でもなかった。
それでも大学に通う通学路の途中駅だったので、ときどき途中下車して本を借りに行ったり、返しに行ったりはした。ただ、そのときの面倒を考えれば、それほど頻繁に通っていたわけではない。読みたい小説の本などがあったときはあらかじめ予約をしておいて、その予約した本が準備できた時だけ行く、そんな形だった。一ヶ月に一回くらいのペースだったと思う。
図書館とは少し違うが、私が通っていた大学にも当然、図書室はあった。
私はその大学の図書室に行くのが好きだった。
それ以外に大学内で時間を潰す場所がなかったということもあったのだけど、それ以上に、色々な本がある空間というのが好きだった。大学の図書室だったので小説というような本は置いてはおらず、学術書や専門書が多かった。
それでも、それらの本を借りては読んでいた。
借りるのは社会学に関するような本が多かった気がする。
この世界をどのように生きていけばいいのか、自分とはどのような人間なのか、その当時からそんなことに悩んでいたので、そのヒントになるものは何かないかと色々なジャンルの本を読んでいた。
その当時読んだ本で、私の人生の糧になったものは何かあったのだろうか。
正直思い出せない。
思い出せないということは、私の人生にとって意義のあった本がなかったということなのか。
あるいは、そもそも「本を読む」という行為自身に意味があって、それは私の無意識の中で何かしらの糧になっているということなのか。
分からない。