神社へのお参りというと、自分の大学受験のときのことを思い出す。
その当時、合格祈願のお守りを持っていた受験生は多かったし、合格祈願のために神社にお参りする受験生も中にはいた。
だけど私はお守りは一つも持たなかったし、合格祈願のために神社に行くことも全く無かった。
心の中では、
「いくら神様にお願いしたところで、神様が私の代わりに問題を解いてくれるわけではない」
という冷めた考えを持っていた。
だから、合格は自分の手で掴み取るしかないと思っていた。
神社に行くくらいなら、その時間で一問でも多くの問題を解こうと思った。そちらのほうが、自分にとって意味のあることなのだと信じていた。
このような冷めた考えが、いつも私の思考の奥に隠れている。
だから、毎年行く初詣も、基本的に神様にお願いすることはない。
神様にお願いするのではなく、この一年間に成し遂げたいことを神様に対して決意表明をするかのように、心の中でつぶやく。
例えば、2023年末に企業Bを退職してFIRE生活に移行する前、それまでの数年間は毎年のように、
「今年こそ、会社をやめて、FIRE生活を実現させる」
と神様に誓っていた。
結局、誓い始めてから、それを実現させるまでに数年がかかってしまったのだけど、私はようやくその決意表明を2023年に実現させた。
今年も、元旦を数日ずらして初詣に行く予定だ。
川崎に引っ越してからは、毎年、川崎大師に行っている。
今年は神様に対して何を誓うか。
そのことを色々と考えている。