私が社会人になったあとも、まだ実家で暮らしていた頃は夏は両親と一緒に鳥取の父の実家に帰省していた。
その頃になると、私自身はもう鳥取への帰省にそれほど心躍るということはなかったし、逆に鳥取にいる親戚との食事会が煩わしかった。
ただ、夏は盆に墓参りをしなければならなかったのだ。
田舎の墓参りは準備も大変だった。
お盆にに向けて仏壇を飾り立て、そして墓参りのための花を準備をする。
墓参り当日は夕方から花を荷台に乗せて、歩いて15分程のところまである墓に向かう。血縁関係のある親戚の墓もそこにはたくさんあり、それぞれに花を供える必要があったので、墓に持っていく花の量も膨大なものになっていた。
そしてその墓参りの翌朝は、午前5時に起きて再び墓参りに行くのだ。
墓参りのための準備も人手が必要だったし、当日の墓参りについても人手が必要だった。
その人手として、長男である私が夏は一緒に帰省するというのがいつの間にか暗黙の了解になっていた。
だけど、私が実家を出て独立したあとは、もう私が鳥取に帰省することはなくなった。
そもそもとして鳥取は私の実家ではなく、父の実家だったのだし、盆の墓参りも徐々に花を供える墓の数を減らして、本当に近い親戚だけにしているという話も父から聞いていた。
11月の初旬にその鳥取の実家に帰省することになり、父から一通のメールが届いた。
出発便と帰着便。
それぞれの具体的な日時が書かれている。
その便の航空券を私も予約をしてくれ、という内容だった。
私は航空券の予約をするために久しぶりにANAのサイトを開いた。